難聴の大変さ

わたしも難聴です

難聴から治りたい、解決したい!

これまで難聴についてはこのような話をよく聞きました。

「難聴は大変だ!」
「難聴でなければよかったのに!」

「とにかく難聴から治りたい、解決したい!」

長年難聴だった耳が聞こえるようになったらどれだけいいか。

あなたの切実な気持ちは痛いほどよくわかります。

それは否定しません。
私も30年ずっと思ってきたのです。

でも、考えてみませんか?

難聴を治すことで、「問題」を100%解決できた人はいると思いますか?

現在は一時的に難聴になっている場合をのぞいては、難聴を100%治す方法はないし、難聴による「問題」を解決できる方法は見つかっていません。

2級の聴覚障害者です

このWebサイトを立ち上げた私も難聴あり、同時に2級の聴覚障害者です。

私は親から30年後に聴覚障害が医学的に治るようになるかもしれないとかけて、私に厳しい聴覚言語訓練をしてきました。

でも、不完全です。そして、治る方法はまだできていません。これが今の現実です。

あなたが耳が治る方法が完成するのを期待して待っていても、30年経ってもできない可能性もあるのです。

補聴器を使っても。耳から入ってくる音で「言葉」を認知するのは難しい状態です。

驚かれますが、補聴器をつければ、補正ができるのは25デジベル程度までです。この事が補聴器店や補聴器メーカーの従業員でもわからない人も多いのです。

それ以上に補聴器を使いこなす、なじむための練習方法はまだないのです。

わたしの場合、低音は補聴器をつけると、若干聞こえますが、補聴器を外すと音は全く聞こえません。完全に無音状態です。

もしかすると、あなたより耳がかなり悪いかもしれません。その反対にあなたの方が悪い場合もあるかもしれません。

難聴は理解が大変ですね?

難聴は子供の場合は聞こえる親に、
夫婦の場合は聞こえる配偶者に、

健聴者から見ても、どういう状態なのか、よくわからない面があるハンデです。なんとしてでも、わからないといけない?

少しだけ断定します。

大丈夫、わからなくても、なんとかなります。

私自身、子供の頃から、聴覚障害者としての人生を送って「こんな嫌な経験をした」というだけの後ろ向きな話も経験してきました。

耳が聞こえないことからくる孤独感が辛すぎて、「心の傷」に凹んでいた時期もあります。

でも、問題なのは出来事をどのようにとらえていくか?といった視点で変わっていくのではないかという話で気づき、そこから10年、心の傷を癒す方法と手段を試行錯誤してきました。

残念ながら、外見だけでは気付きにくい、この難聴をもつことでおこる対人コミュニケーションや「心の傷」の問題をどうやって解決していくかは難聴者協会やろう者協会では教えてくれません。教えられないからです。

実際に難聴者協会やろう者協会など団体のホームページを見ると気づくと思いますが、別記事「難聴と聴覚障害の違いのウソ」などで解説した、難聴とろうの違いについてはもう3年以上できていません。(汗)

これだと、お手上げの状態になってしまいます。

難聴者協会では若い人は個人主義だから集まらないとか言って若い人のせいにしているようですが、いい加減ですよね?これが現状なのです。

となると、難聴だからと悲観的な言い訳をするのではなく、私は「じゃあどのようにしていこうか?」という考え方をすることも選択の1つだと思います。

ただ、あなたが知識を得ることは検索すればできるかもしれませんが、それはあなたの経験ではなりません。

厳しい事を書きますが、「知識だけはある」という人はその人が無能であることの裏返しにもなります。

わたしが実際に身銭を切って、行動して、学んでわかった事ですが、人は身銭を切って学んでいくことで、はじめて財産になります。

あなたはいかがでしょうか?