佐村河内守ゴーストライター事件の隠された本質(3)
佐村河内守ゴーストライター事件についてマスコミが報じていない重大な本質について書きました。佐村河内守ゴーストライター事件の報道については「全聾の作曲家 佐村河内守」をご覧ください。
テレビやマスコミの言う事が正しい、難聴・聴覚障害なんか関心ないよ、と思っている方には不快な表現があるので、この先はけっして読まないでください。
【前回】佐村河内守ゴーストライター事件の隠された本質(2)
人間関係が確立できていない?
お読みいただき、ありがとうございます。
前回、佐村河内守ゴーストライター事件の隠された本質(2)の最後で
ただ、当時者にも努力と工夫は必要です。
わたしたち当時者は「できること」をできるようにすることも大切です。
と書きました。
何をできるようにするのでしょうか?
1つの事をあげましょう。
企業で身体障害者雇用枠で採用した、聴覚障害者が聞こえる人とトラブルを起こしたという話もあります。
その通りです。
企業側、聴覚障害当事者の双方が聴覚障害についてよく知らず、「特別扱いはしない」として、「頑張って、努力して、克服して、健常者並になるべきで、コミュニケーションは聞こえる人に合わせるべき」として、当事者だけに押し付けてしまった例が多くあります。
お互いにコミュニケーションができていない、人間関係が確立できていない。
佐村河内守ゴーストライター事件は、身体障害を「頑張って、努力して、克服すべき」と過度に「神格化」した結果、生まれたといえます。
その前に聴覚障害について、当事者たちが聞こえる人が理解できるような説明ができていない、コミュニケーション技法を磨けていない、地域での人間関係を確立できていない聴覚障害・難聴者も多いのが現状です。
人間関係に加え、信頼関係があれば、コミュニケーションがとりやすくなります。
当事者団体とその関係者は運動で「難聴・聴覚障害者への理解を!」と主張していました。ところが、地域との人間関係が少ないことを「社会の難聴者に対する理解が不足しているせい」など、いろいろと幼稚な理由をつけて、避けてきました。
そもそも人間関係が確立できなかったら、聴覚障害・難聴者と接した経験のある人は少なくなります。理解以前の問題です。
わたしも他人のことは説明されないと、よくわかりません。
聴覚障害を持つ当事者が何も説明していないと、何もできません。
聴覚障害・難聴者と関わりのある人がいないと、どうしたらいいのか、だれにたずねたらいいのか、適切な助言を求めたらいいのかと、困ってしまうこともあります。
もう一度書きます。
お互いにコミュニケーションができていない、人間関係が確立できていない。
こんな状態では地域も企業でも当事者にどうやって接したらいいか、わからないわけで、信頼関係がない状態ですから、そのイメージがマスコミが報道してきた「頑張って努力すれば健常者並にできるようになれる」はずと考えるのは自然な流れです。
こうした背景から、佐村河内守ゴーストライター事件など、一連の騒動が始まったといえます。
聴覚障害を持つ当事者が、そのイメージをひっくり返すほど強ければいいのですが、その人が適切なコミュニケーションができず、凹むようなことが繰り返され、孤独感などから自己肯定ができなくなり、強いストレスと葛藤に、耐えられない人の方が多いのが現状です。
この現状は双方、社会にとっても好ましい状態ではありません。
健聴者と同じようにできるはず?
「頑張って訓練すれば健聴者と同じようにできるようになるべき」と目標を健聴者に置く考え方自体が、間違いであり、皆の幸せどころか、苦しみを生み出すことになると気付きます。
「頑張って訓練すれば健聴者と同じようにできるはず」と言う人に質問してみましょう。
【質問】聞こえないままで、頑張って努力して健常者並になって、身体障害者手帳を返還した人はこれまでどのくらいいるでしょうか?
答えは
ゼロです。
調べて見てください。
考えてみましょう。
マスコミが次のことを報じないことに気付いてください。
聴覚障害者本人が聴覚障害を克服して、健常者並になれるなら、聴覚障害者ではなくなります。その場合は法に定められた通り、身体障害者手帳は速やかに返還しなければなりません。
「頑張って訓練すれば健聴者と同じようにできるようになれる」のが事実なら、身体障害者手帳を返還した人が0人という数字はつじつまが合わなくなります。
コミュニケーション技能を磨くためには学んだり、試行や工夫と改善などの工夫と努力は必要です。
本を読むだけでは身につかないのです。
心の底で「それは甘えだ!頑張って努力して、訓練すればできるようになるはずだ」と思った人もいるかもしれません。
自分の親が年をとって耳が遠くなったり、身体が不自由になったと想像してみましょう。「それは甘えだ」とは責められないですよね?
まっとうな日本人なら「頑張って努力して、訓練して、若い頃並になるよう克服すべき」と必要以上に迫る人はいません。
それと同じです。
頑張って努力しても、健常者並になれない自分に問題があるからだと自分を責め続けると、自信が持てなくなり、心身ともに「自己否定」を重ねていく悪循環に陥ります。
「自己否定」は重要なことなので後で説明します。
こうした否定的な感情が積み重なると、何かをはずみに健聴者に対して怒りなどの感情をぶつけたり、地域や人とのかかわりを避けて、引きこもってしまう人が多いのが現状です。
「コミュニケーション障害」は元は難聴・聴覚障害者が抱えるコミュニケーション上の問題を指していたのですが、近年は聞こえる人でも「コミュ障」と称して、使う人が増えていると思いませんか?
聞こえないことから来る、精神的な辛さ
これまで「身体障害について詳しく聞くのは失礼」として、腫れ物に触るような扱いをする、誤った風潮があります。
聴覚障害や難聴について質問すると突然怒り出した、あるいは普通に話していたのに突然キレたという経験のある人はいませんか?
恥ずかしい話ですが、前のわたしがそうでした。
今は冒頭でも書いたように、私は対面で質問されたら、時間が許す限り説明しています。ほめたり、関西風に笑いもとりますが、これはあちこちで身銭を切って学んだことが生きています。
聞こえる人なら普通に説明できても、聞こえないことから来る精神的な辛さや、悪意はないと、わかっていても、ちょっとしたことや何かを言われることを恐れて、聞こえる人ならできることができなくなっていることがあります。
自分を客観的に見ることができるといいのですが、これが難しい。
強烈なストレスや葛藤から、心身の健康を害する場合もあります。
現在は福祉制度の1つに、行政から委託を受けた、無料の身体障害者相談員がありますが、対応できる範囲は限られています。これは行政の無料法律相談も同じです。
更生援護や日常生活用具の給付など、必要としている福祉サービスを受けられるよう指導や助言はできても、「無料でできること」以上の対応はできません。メンタル的な問題に関して「精神科に行って薬をもらいなさい」といわれた人もいました。
相談員はあくまでも社会に参加するための手がかりに過ぎません。かわりに解決してくれるわけではありません。過度に期待しない方がいいでしょう。
「無料」以上のものは自分で身銭を切って、学ぶ必要があります。とくに耳の聞こえに関係なく、適切なコミュニケーション能力は必須です。
ただ、当事者がなかなかできない理由もあるのです。
どんな理由でしょうか?
佐村河内守ゴーストライター事件の隠された本質(4)につづきます。
【記事一覧】
佐村河内守ゴーストライター事件の隠された本質(1)
佐村河内守ゴーストライター事件の隠された本質(2)
佐村河内守ゴーストライター事件の隠された本質(3)
佐村河内守ゴーストライター事件の隠された本質(4)
【参考記事】
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