本当は難聴の人口は多い?

難聴・聴覚障害者の人口はどのくらいいる?

私たちは眼鏡をかける人は多く見かけても、補聴器をつける人と接する機会がないため、難聴の人口はそう多くないように感じるでしょう。

日本においては身体障害者として認定された聴覚障害者の統計調査は行われています。しかし、身体障害者として認定されていない難聴者の数は把握されていません。

日本における難聴・聴覚障害を持つ人はどのくらいいるのでしょうか?

人口の2割が難聴・聴覚障害

まず、世界各国で共通して、その国における人口の2割が難聴・聴覚障害を持っている人といわれています。

この話から、日本においては21人に1人が難聴という計算になります。

実際、厚生労働省社会・援護局 障害保健福祉部において平成20年に発表された平成18年度の身体障害児・者実態調査結果によれば、障害者として認定された、聴覚・言語障害者の人数は34万3千人となっています。

ただ、平衡機能障害、音声・言語・そしゃく機能障害も含まれているので厳密な人数ではありません。

統計にはありませんが、耳鳴りで悩む人も多くいます。
近年はストレスによる耳鳴りや突発性難聴になる方も珍しくありません。

わたしのヒーリングセッションでうつや耳鳴りのお客様も相談に見えることから、耳鳴りも難聴の部類に含まれると考えています。

難聴・聴覚障害者の人数は少ないのか?

まず、私たちが考える以上に難聴の方は多くいます。

日本の身体障害者認定基準の聴覚障害は

  • 両耳の聴力レベルがそれぞれ70デシベル以上
  • 一耳の聴力レベルが90デシベル以上で他耳の聴力レベルが50デシベル以上のもの、
  • 両耳による普通話声の最良明瞭度が50%以下のもの

などの基準が部位別に設定されています。
これらの条件で身体障害者手帳の発行を受けた難聴者のみが聴覚障害者とされてきました。ところが、この条件は明らかに高すぎるということがわかってきました。

わたしのセッションにいらっしゃったお客様の話によりますと、平均30デシベルでも高音域の聞き取りに不自由していました。

個人差はありますが、平均聴力が両耳共に40デジベルを越えたら、音を聞き取るのが大変になり、補聴器が必要なレベルになってきます。

実際、世界保健機関(WHO)における聴覚障害の認定は平均聴力が両耳共に40デジベルを越えたら聴覚障害になるとされています。

欧米では40デジベルを越えたら聴覚障害とみなされ、社会的な支援措置が行われています。

日本では軽度難聴、中度難聴、高度難聴、重度難聴という区分けをしています。

これは軽度だから補聴器を使わなくても大丈夫といった意味合いではありません。

これはあくまでも医学的モデルに基づいて区分けされた、聴力に応じて補聴器を選ぶための分類でしかありません。

さらに近年は聴力検査に異常がなくても聴覚伝達がスムーズに働かない人もいる事が判明しています。
 
日本で補聴器を使っている人はどのくらいいるでしょうか?
私たちが知らない重大な数字があるのです。

補聴器ユーザー数としての日本の難聴者人口

2009年に日本補聴器販売店協会によって「補聴器供給システムの在り方に関する研究」報告書の中で、補聴器ユーザー数として、日本の難聴者人口が報告されています。

2003年頃の調査ですが、この中で約2千万人と報告しました。
2008年5月時点日本の人口が125,950千人なので、日本の人口比率15.4%にあたります。

(1)自覚のない難聴者 7.2% 9,070千人
(2)自覚がある難聴者 4.5% 5,690千人
(3)ほとんど使用しない補聴器所有者 1.0% 1,290千人
(4)常時または随時使用の補聴器所有者 2.7% 3,390千人
(合計)15.7% 19,440千人

※人口比率:「補聴器供給システムの在り方に関する研究」年次報告より

このうち補聴器所有者はほとんど使用しない補聴器所有者と常時または随時使用の補聴器所有者をあわせると、

日本では難聴者4人に1人だけしか補聴器を使っていない計算になります。

難聴者が少ないように見えるのは、補聴器を使っていても、使っている事を隠しているか、あるいは難聴や補聴器に対するネガティブな印象から使いたがらない人の方もいると思います。

メガネやコンタクトレンズを使っている人は多くても、補聴器を使っている人は少ないですよね?

変だと思いませんか?

重度の弱視になったら、眼鏡を使っていても大変なので、専用の弱視を補正するメガネを使いますが、視覚を代替するものではないのでよく見えないのだそうです。

私がいろいろな難聴の方と話をしたり、セッションの相談を受けてわかったことがあります。

見ただけではわからない、目立たない難聴者

なかなか難聴であることを言い出せない人が圧倒的に多いのです。

私が営業開拓で飛び込み営業を行っていたとき、私の話を聞いていた無愛想な顔をしていた男性がいました。

私が補聴器を使っていることに気付き、「実は私は難聴なんです」「どうしたらコミュニケーションがとれるでしょうか?」と話してこられました。

ある交流会で初対面の女性が私と話をしていて、不安な表情で話をしていました。

「私と話をするのが嫌なのかな?」と思ったら、私が補聴器をつけているのに気付いて、言いにくそうに「私は男の人の声が聴き取りにくいんです。」と話してくれました。

難聴であることを前もって説明したにも関わらず、学校で座席を後ろの方にされて、聞こえなくて、なかなか言い出せず、我慢していた子供の親からの相談もありました。

新しく知り合った友人と何度か話をするにつれて、まもなく「実は片方の耳が聞こえないんですよ」と告白してきました。

片方が聞こえないだけでも、聞こえない方から聞こえてくる音がわからなかったり、音の立体感や方向感覚がわからないなど考える以上に不便です。

別の異業種交流会で私の話を聞いていたある人が「何を言っているのかわからない!」「聞き取れない!」と言って、『私の発音が変なんだろうか?』と思ったら、他の人にも同じように言っている人がいました。

明らかに難聴でした。

自分から難聴である事を言わない、言い出せない方が多いことに驚きました。

私は難聴に関するネガティブな感情を

「きこえない不安や怖れ」

と表現しています。
わたしは難聴である事を隠さない方がいいと思います。

多くの難聴の方がこの感情のため、自分が難聴であることを認めていない、ありがちですが「人に迷惑をかけてはいけない」に縛られて、言い出せない状態にある人も多くいます。

当人も難聴についてよくわかっていない、あるいは知る機会がないがためにいろいろと困っているけれど、仕事を失ったり、トラブルを起こしたくないがために黙っていることもあります。

全体的に「きこえない不安や怖れ」のため、「難聴者は少ない」という錯覚になり、「自分だけが難聴に・・」といった思い込みをすることになるのだと思います。

また、難聴者には変な人もいますし、不安になるような話もあります。
でも、そういう人達と同じように見られたくないのであれば、なるべく難聴は隠さない方がいいと私自身の経験から、そう思います。

その「怖れ」について述べましょう。

「難聴に対する怖れ」を生み出したのは誰?

「難聴に対する怖れ」を生み出すのは社会ですが、同時に私たち当事者もまた生み出しているのではないかと思います。

それが、いいか悪いかといった、二者一選択の狭い考え方では何も生まれません。そうした事を意識して、考え、自分がどのような行動をとるかもまた大切になってきます。

私たちが難聴・聴覚障害者の人口が少ないと錯覚するのは補聴器が必要であるにも関わらず、利用している人が4人に1人しかいないことを書きました。

その背景には、難聴に対するネガティブな感情の蓄積があると思います。

難聴に関する感情の問題は臨床心理学でも解決した例はほとんどありません。

健聴者が行うスタイルのコーチングや心理カウンセリング、よくあるピアカウンセリング、最近は元の呼び名「グループワーク」や「ケースワーク」と称しているようですが、それでも解決は困難なのが現状です。

そんなはずないと思うでしょう。

人の話がよく聞こえない人、聞こえる人が音声言語で、認識のずれなど精神的な問題を解決できるでしょうか?

言いにくいことですが、この精神的な問題については、現在の難聴者団体できいた話ではほとんどが役にたっていないのもまた実状です。

とくにグループワークはどんな人が集まっているかにもよりますが、否定的なエネルギーの投げ合いになって、却ってマイナスになっている場合もあります。

臨床心理学でも解決できた事例が極めて少ない。
そのくらい深い問題であり、思うようにきこえない事から来る葛藤は聞こえる人が考える以上に強いのです。

わたしのセッションではこうした否定的な感情を緩和する支援を行っており、主に非言語的な手段にもよります。

わたしがメンタルコーチで対応した方で自殺しかねないほどの衝動的なエネルギーをもっていた方もいました。ちなみに、この方は自殺を思いとどまり、心身の状態を改善できました。

あまり多くは書けませんが、コミュニケーション不全状態になりがちな難聴・聴覚障害者が抱えているネガティブな感情から来るエネルギーは健聴者と比べても破壊力が極めて大きいと思います。

 精神薬は飲むな!

よく難聴でしんどいという人もいます。精神科に行けば薬をもらえると思っている人も多くいます。

難聴者団体で自己受容などから来る、うつやパニックなどの精神的な問題について話題になった時、ある役員が当事者に「精神科にいって薬をもらいなさい」と言っているのに仰天しました。

本当に知っていたら精神科に行く事は絶対にすすめないでしょう。
この当事者の方は次第に症状が悪化して入院してしまいました。現在も回復できていません。

別の方は亡くなったと聞きました。
人づてに肝臓を悪くしていたことを知りました。精神薬の副作用に肝臓を悪くするものがありますが、それではないかと思います。

そして、薬では対応できないという事に気づきます。

わたしが背景を考えるきっかけでえしたが、そもそも精神や脳の仕組みについては現在の医学でもほとんどわかっていません。

耳鳴りもそうですが、難聴を精神的な問題を投薬で解決できるかというと、「いいえ」です。副作用の方が重大だと思います。

例えるなら、ヤカンの底に穴があいていて、水が漏れて水が減っているのに、穴をふさがず、水が足りないといって、水を足してお湯をわかそうとするようなものです。

薬は否定しませんが、難聴から来る、精神的な問題を解決しようと、薬を処方してもらう際、とくに理由をつけてやたらと薬を出す所、多種類、多剤処方するような精神科には近寄らない方が無難です。

薬を出さないと医療保険点数が低くなるといった問題もありましたが、こうした医者の存在には批判も強くありました。

厚生労働省は2014年度から多剤処方については抗不安薬や睡眠薬などの向精神薬を数多く処方した場合、診療報酬を原則認めない仕組みを導入することを決めました。

それでも例外としての「制限回避条件」もあるので、注意も必要です。

全てがそうだとは思いませんが、精神的な問題を薬で治せると思っているとしたら、それは間違いなくヤブ医者だと思います。

保険があるからオトクにできるなどと思って、精神科の医者の「薬を増やしますね」などの話を鵜呑みにすることはやめた方がいいでしょう。かえって悪化したら、高くつきかねません。

この投薬による問題は長くなるので、また別の機会に書きます。