あなたは報道される話が100%正しいと思っていないだろうか?

そして、あなたは「壮大なネタバレ」に気づいただろうか?

映画「FAKE」で語られなかったある事実

映画「FAKE」で語られなかったある事実

「幸いなるかな、わたしは聞こえないがために、隠された事実に気づいたのだよ」

全ての人に幸いがありますように。

映画「FAKE」で語られなかったある事実 電子書籍
無料ダウンロード
(PDF 3.4MB)

「太った、ただの聴覚障害者」が語る事実とは

「映画『FAKE』で語られなかったある事実」をお読みいただきありがとうございます。

2014年に「ゴーストライター騒動」で日本中の注目を集めた佐村河内守を捉えたドキュメンタリー映画「FAKE」が2016年6月に公開されました。

ドキュメンタリー映画としても異例の大ヒットロングラン上映となり、日本中で多くの反響を呼びました。

「太った、ただの聴覚障害者」(笑)と言われた、わたしが出たシーンは予想以上の反響があり、驚きました。まず、あなたがこれを見てくださっている事に感謝します。

思考停止せず、事実を知ろうとしている方々のご意見を読ませていただきました。そういう見方もあるのかと勉強になりました。

また、この映画で聴覚障害者である私ががきちんと話した事で、自分の思い込みに気づいたという人も多くいました。

プロレスラーのザ・グレート・サスケさんを初めとする方々からも「気づかせてもらいました」とコメントをいただきました。

本当にありがたいことです。

今回、一部の人達による恣意的な明らかな印象報道と事実の切り貼り報道に踊らされてしまった、わたしたちの自分自身の善意をこれから悪用されないために、どうしたらいいか、建設的に考える事だと思います。

そのために「映画『FAKE』で語られなかったある事実」を書きました。

初めから結論ありきではなく、「なぜそうなったのか」をあなたと一緒に考えて行く形をとっています。

読み捨てにするための話ではなく、みんなで読んで、考えるために書きました。

難聴・聴覚障害を知る事はコミュニケーションを知る事

あなたに、お時間があれば、先人達に祈っていただけるとうれしいです。

難聴・聴覚障害については歴史を見ても、試行錯誤の過程にあります。

難聴・聴覚障害について公式に記録されはじめたのは明治時代からですが、その前からずっと先人達による試行錯誤の状態にあります。

あなたはお気づきでしょうか?わたしはその尊い使命を今生に受けた一人ですが、ある意味では昇格試験みたいなものです。

これまで出された多くの同じ難聴・聴覚障害を取り上げた話は主観的に書かれたものが多く、わかりにくい、普遍性がないものばかりでした。

そのため、一方的な話やわかったようでわからない話が一人歩きしていました。

本来なら、報道してきた人たちが速やかに訂正しなければならないところを逃げたままです。まるでウン◎の垂れ流しですね。(汚い表現でごめんなさい。)

なぜ?きっと、私たちを無知で貧しいままにしておきたいのでしょう。

それはさておき、あなたのために書きました。

わたし達が難聴・聴覚障害を知る事はコミュニケーションを知るだけでなく、自分自身をよく知るためにも重要な鍵です。

映画「FAKE」は傑作であると同時に映像の表現で伝えるには限界もありました。

難聴については目に見える形で説明できない話もあります。

例えば、耳栓をしても難聴の体験ができない本当の理由です。

難解な専門用語をどこまで引き下げられるか。

実はこれをわかるように説明できる当事者の方がこれまでいませんでした。

耳鼻科医ですらまともに説明できない人の方が多いのです。よくいわれる「バカの壁」でありましょう。

結果としてできた、「認識のずれ」が人間関係の強いストレスの原因になっていることもあります。

親子でも認識のずれが起こっている場合もめずらしくありません。

親や子といえども、本当に「想像」するしかわかりません。

わたしが自身で体験してきた事実、研究してきた事を元に、客観的に書きました。それもきこえる人が感覚的に想像できるよう、表現を的確に選んで書きました。

それはここまで書いてきた文章でお気づきだと思います。

もし、あなたが難聴や聴覚障害、教育について調べたり、学ぼうとしているのであれば、この話に書かれている内容は広く役にたちます。

それだけではありません。

学習障害も含む発達障害やコミュニケーション障害、認知症、鬱やパニックなど、他の障害においても重なる部分もあることに気づくでしょう。

そして、誰もが無関係ではないことに気づくでしょう。

ただし、事実を文字や映像だけで100%伝える事はできない事を念頭においてください。

「わかってもらえない」という話がありましたが、ある面ではそうなのです。本当にわかろうとしたら、感覚的に自分の身体をもって経験するしかないのですから。

視点や解釈は無数にあります

わたし達が「事実」をどのように見ていくか、あらためて劇場公開時の森達也監督の言葉を引用しましょう。

>映画で大切なことは普遍性。単なるゴーストライター騒動をテーマにしているつもりはもちろんない。

誰が彼を造形したのか。

誰が嘘をついているのか。

自分は嘘をついたことはないのか。

真実とは何か。

虚偽とは何か。

この二つは明確に二分できるのか。

メディアは何を伝えるべきなのか。

何を知るべきなのか。

そもそも森達也は信じられるのか。

…視点や解釈は無数にある。

一つではない。もちろん僕の視点と解釈は存在するけれど、最終的には観たあなたのもの。

自由でよい。でもひとつだけ思ってほしい。様々な解釈と視点があるからこそ、この世界は自由で豊かで素晴らしいのだと。

森達也監督が言うように視点や解釈は無数にあります。

わたしの視点と解釈は存在しますが、ここで書いた話は多くの一部を書いたにすぎません。でも、その一部を通して全体を見ることができます。

わたしより聞こえている人が、なぜ事実がわからないのだろうか?と不思議に思う事が何度もあります。

でも、映画『FAKE』を劇場で見た、DVDディレクターズカット版を見て、「映画『FAKE』で語られなかったある事実」を読む事で客観的に見ること、別の視点で見ることで気づく事も多く出てくるでしょう。

最後に、ここまで読んでくださったあなたが自分自身の言葉、適切に言葉を選ぶようにして、自ら行動を起こすようになれば、うれしいです。

ありがとうございます。

佐村河内守 新垣隆 FAKE 森達也 聴覚障害 難聴